スイープトウショウ 2015年11月13日エリザベス女王杯ヒロイン記事 なお池添謙一の苦労譚でもある
2005年11月13日エリザベス女王杯 勝ち馬スイープトウショウ
https://jra.jp/datafile/seiseki/g1/eliza/result/eliza2005.html
(JRA公式の成績)
ワガママな女の子に振り回される従者の気持ち。池添にはよく分かることだろう。しかも、その娘は自分だけにとびっきりの笑顔を見せてくれるとしたら――。何を置いても我慢の連続。彼女が気分よく走れるならば、どんな難題もこなしてみせよう。そんな気持ちだろうか。
「まず馬場に入ってくれてホッとして、ゲートにスムーズに入ってくれてホッとして…。ああ、これからレースなんだから集中しなきゃ、と(笑い)」
スイープトウショウはまずスタートする瞬間までが課題。馬場入りやゲートを嫌がるのはワガママというか、この馬の個性とも言える。これも女王に見込まれた男の責任。池添は根気強く付き合った。何事もなくスタートを迎えた時点で、視界は大きく開けた。
スイープトウショウは池添の献身を意気に感じたのかどうか、ことレースに関しては気難しさどころか、強烈な勝負根性を発揮。
「最初のコーナーが窮屈でラチにぶつかりそうになったり、4角でも窮屈で外に出してからはあと300メートルしかなくて…」
スローでゴチャつき白兵戦の様相にも、なんらヒルまなかった。はるか先にオースミハルカがリズムよく逃げており、その差は「届くのかな…」と池添が不安に思ったほど。しかし、目の覚めるような上がり3F33秒2の豪脚。最後の最後、見事にとらえた。
「ほんとスイープに助けてもらいました。この秋一番の動きだったし、牡馬と互角に戦ってきた馬。牝馬同士では負けられない、負けたら自分のせいだと思っていたので…」
G1を勝った喜びはもちろんだが、それ以上に男の責任を果たした安堵感が池添を包む。
「レースが終わって気疲れしました。手を焼かせるね、ほんと」
それが女王様に仕える甲斐性というものだろう。スイープトウショウを御せるのは、君だけに与えられた特権なのだから。
クエルクス・キウィーリス
いささか周回遅れの話ですが、ウマ娘でエアグルーヴが花嫁になって、キャッチフレーズ?がクエルクス・キウィーリス(QUERCUS CIVILIS)とか。創作ものにラテン語が出てくるのは珍しくありませんが、発音もわりと忠実で感心しました。civilisをシビリスとかキビリスとか読まないだけでも多少なりともラテン語の知識があるか、ちゃんと調べるかしないといけませんものね。長母音に忠実ならキーウィーリスでしょうけど、まあそこまでは。直訳「市民のオーク」で、ローマ市民を救ったローマ市民(実際はもうちょっといろいろありますが)に与えられるオークで編まれた冠。たいへんな栄誉。
エアグルーヴの現役時代は取材したことないのですが、別の厩舎ですが娘のアドマイヤグルーヴが出てきて活躍したとき、エアグルーヴを管理した伊藤雄二調教師に母の話を何度も聞いたものです。
アドマイヤグルーヴのラストランはマイルの阪神牝馬S。相手にはその年の桜花賞馬ラインクラフトがいてそちらが人気だったんですが、このときアドマイヤグルーヴ陣営が随分、自信満々でした。「最後だからマイルで思う存分走れる」「掛かっていくけどマイルだから」みたいな。圧勝でラストランを飾りました。
のちに、年が明けたぐらいですかね、このラストランVについて、伊藤雄二調教師と話をしました。「マイルで強いと思っていたよ」と。
興が乗ったので、こちらも「お母さん(エアグルーヴ)も、そういう感じでしたよね?」
伊「そうや」
――マイルのG1でも見たかった気もします
伊「勝てたやろな。ただマイルを1回使うと、距離を戻すことは難しかったんや、あの馬は。娘(アドマイヤグルーヴ)もそうちゃうかな」
――気性的なものですか?
伊「それもある。いろいろな。二千以上で使いたいレースも多かったしな」
伊藤雄二先生は玄妙なるストーリーテラーだったので、この取材というか会話もこちらの言ってほしいことを言ってくれたのかもしれません。20年以上前のことですが、はっきり覚えています。
で、「ウマ娘」ではエアグルーヴはマイルや短距離で運用することも多いんですって?
雄二先生、後世のファンはエアグルーヴの本質を分かっているみたいです!
アグネスデジタル 2001年天皇賞(秋)ウイーク
※馬名コラムは休止。他のことで時々更新します。
「ウマ娘~プリティーダービー」の大流行によって、過去の名馬エピソードがいろいろ出てきていますね。こちらはアグネスデジタルが2001年天皇賞(秋)に出走する前、担当していたいた井上多実男厩務員から聞いた話をまとめたものです。
「行くぞ相棒」アグネスデジタル(井上多実男厩務員)
この馬は本当に賢い。地方にあちこち行ったけど、環境が変わっても結果を出してくれてる。動じることがないんだ。カイバ食いが減ったことないもの。
走る馬ってのはどこか違う。この馬はメンタル面の強さ。普段にしても、これぐらい無駄なことをしない馬はいないよ。言うことをよく聞いてくれるんだ。だからレースでも、ジョッキーの意のままに動けるんじゃないかな。前走は深い砂の盛岡(編注・南部杯1着)だったから先行策になったけど、行かせりゃ行ける。控えようと思えば控えられる。だから距離は気にしてない。掛かるところはないからね。
自分のやってる馬が天皇賞に出るのは初めて。一生に一度は…って思ってたから嬉しいよ。無事にレースに持っていくのが自分の仕事。追い切り後もいい感じであとは府中に着くだけ。
ほら、帰ろうとするのが分かると、いつも鳴いてニンジンをねだるんだ。賢いけど、子ども子どもして甘えたところもあるんだよ。(談)
追悼シーザリオ 2005年5月22日オークス
角居厩舎が最終出走となるその日に、シーザリオ急死の一報。とても印象的な馬。オークスを勝った時の記事をサルベージした。福永自身も認めていますが、うまく乗れなかったけど馬が強くて勝った。駆け引きや戦術を力で叩き潰した強さ。昨今は繁殖牝馬としての優秀さが強調されることが多いのですが、競走馬としても一級品でした。
騎手の駆け引き、秘術を尽くし合った一戦。そんなオークスだ。逃げて超スローに落とし一発を狙った武幸四郎エイシンテンダー。道中引っ掛かるのを懸命になだめて末脚を引き出したデザーモ・ディアデラノビア。さらに人馬の英知と力を出し切ったのが武豊エアメサイア、そして福永シーザリオだった。
福永は「逃げてもいいと思っていた」というが、一完歩目で右隣の武豊エアメサイアに遅れを取る。その瞬間だ。豊はシーザリオの機先を制してフタ。外の先行馬を行かせて自らは好位置をキープし、シーザリオを後方に追いやることに成功した。福永がこう述懐する。
「失敗した。こうなったらイヤだという危惧していた形。ユタカさんにやられた」
手の内を知り尽くしている者同士。最初の立ち合いはユタカが制した。しかし、ここからが福永の腹の据わったところ。
「焦っても仕方ない。スローだし、他と接触しないよう折り合いに専念しました。もう直線勝負しかない、と…」
進路を確保するまで、我慢に我慢を重ねての末脚勝負。上がり3F33秒3!追い出しのタイミングはここしかない刹那。それを逃さなかった。
「追い出してからブレーキをかけることがないよう、道中辛抱してくれと言い聞かせた。届いたけど、馬には必要以上に厳しいレースをさせてしまいましたね。決していい仕事とは言えない。僕が思っていた以上に強かった。頭が下がります」
福永から出るのは反省の弁ばかり。しかし、見せ場だけではなく、勝利を求めた結果が道中の我慢につながった。大本命馬(単勝1.5倍)でギリギリ我慢できることが超一流の証し。
敗れた武豊が「あの競馬ができて差されるとは…」と絶句する。勝っていればおそらく会心の騎乗。第一人者の想像を超えるシーザリオの強さ、底力を引き出したのは、福永祐一の技術とハートにほかならない。